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"Sahara Scamper"

タイトルは「サハラを疾走」という意味で、戦時中の映画『サハラ戦車隊』をイメージしています。戦闘シーンはほとんどありませんがリー先生が主役なのでリー好きにはたまらん映画ですよ~。砂埃は綿を着色して再現、岩は粘土で自作、ドラム缶は半分に切断して接着し、埋まっている感じにしてあります。

 【アメリカ中戦車M3リー】

 第二次大戦開始当初、アメリカ機甲部隊は貧弱で、戦車開発で大きな遅れをとっていた。そしてドイツ軍が機甲部隊によりイギリス軍を撃破しフランスを占領、ヨーロッパを制圧するとアメリカもいよいよ危機を感じ、ドイツ軍に対抗し得る戦車の開発を始め、試行錯誤と妥協によって完成したのがこのM3中戦車だった。開戦当初はアメリカは参戦はしていなかったが、武器貸与法により北アフリカ戦線で闘う英軍にM3を多数供給し、現地の英兵たちから米国式そのままの物は「リー」、英国式に改造されて運用された物は「グラント」と、南北戦争の将軍にちなんだニックネームを付けられて愛用された。主砲が車体に固定されている、車高が高くて被弾しやすい、装甲が薄いといった欠点の多い戦車だったが故障が少なく、何より対歩兵用の榴弾と対戦車用の徹甲弾の両方を撃てたため(英国の戦車は榴弾が撃てなかった)、バランスのとれた巡航戦車としてドイツアフリカ軍団相手によく闘った。そして正式に米国が参戦すると供給量もますます増加、後継車であるM4シャーマン中戦車が登場してからも北アフリカ戦線で独軍が降伏するまで活躍し続け、更に太平洋戦線では日本軍を相手に善戦、ソ連軍にも供給されて「7人兄弟の棺桶」という嫌な渾名を付けられつつも極寒の地で粘り強く闘ったのである。また、最終的に約6000輌が生産されたこのM3自体の改良型が多く作られたのはもちろんとして、その後も終戦まで活躍したM7プリースト自走砲やセクストン自走砲、と言った派生型車両の母体にもなっていまる。そういった意味ではまさに連合軍戦車の基礎と言えるだろう。

​(2016年12月完成)

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